ストリートアート、グラフィティ、世界に影響を与えた10人
スプレーやマーカーペン(フェルトペン)などを用いて壁などに描かれるグラフィティの歴史はヒップホップ4大要素(ラップ(MC)、DJ、ブレイクダンス、グラフィティ)の一つとして、1970年代からニューヨークのブロンクスなどゲットー地区でヒップホップの歴史と共に始まっていく。
アートにならないアマチュアによるゲリラ的にスプレーを使った電車や壁への「落書き」は、街の景観を乱し、白壁に塗り替えられてはまた「落書き」するというイタチごっこなど良いイメージはないのだが、パリやNYブルックリンなどではアートとしてのストリートアートやグラフィティを行政が奨励している地区が複数あり、ニューヨークのゲットー地区では結果としてストリートアートが親しまれ、アート手法やストリートカルチャーが継続的な発展を遂げてきたように思われる。
プロによって描かれるストリートアートやグラフィティは本当に感心してしまうが、上記のようにアマチュアによる街への落書きか、もしくは大きな壁でも表現力を失わないよほど自信とスキルのあるアーティストか二極化するために、競技人口が少なく、その敷居は非常に高いように思われるために一体どのようなアーティストがどのような作品をシリーズで仕上げているのか一般的にはあまり縁が無いように思われる。
今回HOLLYWOODSNAPでは海外アーティストに限定した中で、幾つかの英語圏の海外サイトの記事を参考に翻訳して記事を作成、芸術をライフワークとする筆者と共にアートの世界を覗いてまいりましょう。
1.バンクシー(Banksy)
バンクシー(Banksy)は今現在のストリートアートやグラフィティを先導する最も有名な存在だが”覆面芸術家”と呼ばれ本名を始め不明な点が多いが、多くのストリートアーティストがバンクシーに影響を受け、また敬意を感じているという。
スプレー缶をリックサックに詰めて、おそらく深夜などにゲリラ的に壁に描く手法をスタイルとするバンクシーについて分かっていることは、イギリスのブリストルで生まれロンドンを中心に活動するアーティストであることだ。そしてその芸術性の高さゆえに、人々に嫌がられるアーティストもいる中で、バンクシーは認められる尊敬されるまでの存在に登りつめた人物と言える。
Snap Via:ibtimes.co.uk
また『 イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』、『 バンクシーの世界お騒がせ人間図鑑』などの映画を監督として製作し、アカデミー賞にノミネートされたこともある。
バンクシーの作品は風刺的なものがほとんどで、これまでにパレスチナのガザで子猫を描き1億円で落札されてニュースになったり、アンジェリーナ・ジョリーとブラピ夫妻が100万ポンド(約1.8億円)で落札してニュースとなったりとイギリスでは常に話題となっているようだ。
またロンドンの街はバンクシーの作品で溢れており、バンクシーの作品はその時の政治的な問題への風刺などが多いために批判を受けて消されてしまうケースもあるが、一方でガラスケースで保護されたりすることもあり、市は積極的にその保全に取り組んでいるという。そこは後の観光スポットとなるからだ。
他のストリートアーティストが壁に書けば落書きとして消されることがほとんどだが、バンクシーが描いたものは芸術作品として認められ、「国から許可を得ている。」かのように残されていくのだという。
またリスト2で紹介する同じロンドンを拠点とするキング・ロボ(King Robbo)との「グラフティ戦争(The Graffiti Wars)」はドラマに富み、アングラであるストリートアートに多くの人が興味を抱くキッカケとなったようだ。
2.キング・ロボ(King Robbo)
Snap Via:inchtns.tumblr.com
1969年生まれのキング・ロボ(King Robbo)は、ロンドンストリートアート界のパイオニアと呼ばれる人物。多くのストリートアーティストがそうであるように、キング・ロボも覆面を貫き素顔全体を晒していない。
1985年頃から、10代だったキング・ロボ(King Robbo)は地下鉄(SUBWAY)にペイントしてその存在は悪名高く知られるようになった。そのグラフィティのスタイルは日本にも輸入され90年代の都内の街はキング・ロボ風のグラフィティで溢れかえった。
キング・ロボはこの時代にすでに運命の宿敵、同じロンドンを拠点とするバンクシーと出会っていたという。
ロボ曰く、バンクシーはロボに対して幾分無礼であり、ロボの至る所にあるアートワークに対して良く思っていない印象を見せていたという。
“グラフィティ戦争”:キング・ロボVSバンクシー
(The Graffiti Wars: King Robbo vs Banksy)
この両者の対立と作品への上塗り合戦は2009年12月から2011年11月頃までの2年間で行われた。
ロンドン・カムデン運河の目立つ場所にあるトンネル内に描いたキング・ロボの1985年から継続する記念碑的な名物作品に対して、2009年12月に、リスト1のバンクシーが薄れてきたキング・ロボの絵に対して作業員がその絵をポスター風に貼り付けている最中の絵を上塗りした。元のキング・ロボのグラフィティはポスター風にして半分ほど残してある。
Snap Via:stencilrevolution.com
これを挑発行為と受け取ったキング・ロボは引退していたが復帰、両者が何度も上書きを繰り返すというアーティスト同士の有名な抗争「グラフィティ戦争(Graffiti War)」を繰り広げた。
キング・ロボはバンクシーの絵の上に自らのロゴを上塗り。バンクシーが描いた作業員の絵を残しているところに最低限のリスペクトを感じる。
Snap Via:stencilrevolution.com
その数か月後には、「FUC」をバンクシーが書き加え「FUCKING ROBBO」となる。
Snap Via:stencilrevolution.com
市によってなのか、壁は一面黒に塗り替えられた。
数か月後、とうとう怒ったキング・ロボは、さらに数か月後に黒の背景にバンクシーの墓石の絵をトンネルの壁に描きそこに「R.I.P BANKSY’S CAREER(バンクシーのキャリア:追悼)」と書いた。
Snap Via:stencilrevolution.com
その後、おそらく市によって真っ黒に上塗りされた壁に、2011年1月、バンクシーは部屋と金魚水槽の奇妙な絵を上書きした。
そして、「グラフィティ戦争(Graffiti War)」は、イギリス公共放送「チャンネル4(Channel 4)」によってリアルタイムでドキュメンタリー制作された。しかしドキュメンタリー放送の3ヵ月後、2011年9月にキング・ロボがその壁に上書きをしようとしていた最中に転落事故は起こったという。、バンクシーの作品に上書き作業の最中にキング・ロボは梯子から転落し意識不明の重体となり、そのまま意識は回復せずに2014年7月31日に亡くなった。実に衝撃的な最期である。
その後バンクシーはキング・ロボを追悼する絵を壁に書いたが、キング・ロボのチームにより上書きがされている。
参考:King Robbo Graffiti Artist Biography
📹必見:キング・ロボVSバンクシー「グラフィティ戦争」ドキュメンタリー
3.フューチュラ2000(Futura 2000)
Snap Via:shop.tomodachi.us
ニューヨーク・ブルックリン出身で現在も在住のフューチュラ2000は、1980年代のグラフィティアート界で最も活躍し有名になった人物と評され、またストリートアーティストとして最も有名な人物と評するメディアもある。彼もまたそのキャリアの始まりは、ニューヨークの地下鉄にゲリラ的なアートワークを行うことに端を発していた。
1980年代前半には、グラフィティシーンを描いた映画『ワイルド・スタイル』の影響もあり、グラフィティアートはアートとしての市民権を得て、ストリートからギャラリー展示の機会を獲得、フューチュラ2000や後述のリスト4の4.ジャン=ミシェル・バスキアや、リスト10のキース・ヘリングは個展を開き、芸術の世界に新たな風を吹き込むに大きな役割を果たした。
SNAPN:fashionablypetite.com
1980年代のU.Kロックバンド「The Clash (ザ・クラッシュ)」は、オールドスクールヒップホップの要素を取り入れていたバンドでグラフィティと相性が良く、フューチュラ2000がレコードのジャケットカバーを製作したり、ツアーではバックステージをフューチュラが描き、ライブで共演するなどの交流をした。
フューチュラ2000は地下鉄に書いていた時代が終了すると、絵具を使った球体や線をモチーフとした抽象的な絵がほとんどとなっていき、それらの創り出す不思議な世界観と絶妙のバランスが評価されている。フューチュラ2000の描き出す球体はどこか懐かしい和の要素を感じざるおえない。
現在もブルックリンのストリートに描き、またギャラリーでも活動しており、偉大なアーティストと評されている。
4.ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)
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ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の絵に見覚えないだろうか。
語弊があるかもしれないが、彼の絵は小学生のノートの落書きのようなものである。最も優れた”ノートの落書き”を描いた落書きのプロフェッショナルがジャン=ミシェル・バスキアであると言えるのではないだろうか。
この落書きに見えて現代アートの最先端に見える彼の作品の数々を見て、彼が1960年に生まれで、今は亡き人物だと誰が想像しようか。彼の煩雑な作品は、人々の内面の混沌を描き出し、アートとして調和させている。この先も普遍的に通用するアートのスタイルをジャン=ミシェル・バスキアが最初に創りだしたと言えるのではないだろうか。
ジャン=ミシェル・バスキアは、1960年に生まれ、1988年に27歳で亡くなった。死因はヘロイン中毒だった。
多くの芸術家、ミュージシャンがそうであったように彼もまた短命だったのだ。
話は逸れるが、27歳という年齢は魔の年齢と呼ばれ、バイクでの死亡事故もこの年齢付近が非常に多いらしく、また「27クラブ」と呼ばれる、多くの世界的ロックミュージシャンが27歳という魔の年齢で死亡しているジンクスがある。ジャンのWikipediaでは、「27クラブ」として関連付けられているようだ。彼の天才的な絵を前にすると、彼もまた、その才能の傑出ゆえに、短命で生涯を全うした人物のように思えてならない。
1960年生まれの人が、2010年代のコンテンポラリー・アートの最前線をいくような絵を描いていることに驚きを隠せない人も多いのではないだろうか。
ジャン=ミシェル・バスキアはニューヨークのブルックリンで生まれ、17歳の頃から地下鉄やブルックリンの街にスプレーペインティングをするようになる。そのうち高校を中退し、Tシャツやポストカードで生計を立てたる内に、評価を得て、キース・ヘリングやバーバラ・クルーガーと出会い個展を開くまでになる。
また非常に興味深いのが、1983年に世界中の誰もが知っているアーティスト、アンディ・ウォーホールと出会い、1987年のアンディの死まで作品を共同制作し互いに刺激し合う関係だったという。

今でもL.Aのデザイナーズハウスで必ず見かける”ポップアートの旗手”と呼ばれるアンディ・ウォーホルの作品、弱冠20代にしてアンディに認められ共同制作するに至ったジャン=ミシェル・バスキア、天才の生涯は映画『バスキア』として1996年に映画化、ドキュメンタリーフィルム『バスキアのすべて』が2010年12月に日本で公開されたという。
参考:Wikipedia
ジャン=ミシェル・バスキア公式サイト:http://www.basquiat.com
📹27クラブ:27歳で早死にした超有名ミュージシャン達
https://www.youtube.com/watch?v=n3nRFnpIAQY
5.ロン・イングリッシュ(Ron English)
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ロン・イングリッシュは1960年にテキサス州ダラスで生まれた。
自らの作品を、POP(ポップ)とPropaganda(プロパガンダ:特定の思想に導く政治的な宣伝)の造語「Popaganda(ポッパガンダ)」と表現しているように、そのアートにはメッセージが込められているようだ。実際に2007年には同じく政治的なメッセージを込めたストリートアーティストのバンクシーとコラボして作品をプロデュースしている。
「Popaganda(ポッパガンダ)」という言葉からは、POP(ポップ)といういわばサブカルチャーから生じた勢いが、本物のカルチャー(文化)を形成して変えていく、そこには未来を創り出していくのは、ありふれた若者、ストリートで培われた勢いある文化であるといった何か力強いメッセージまでもが聞こえてくるように感じられるのは筆者だけだろうか。
また30日間、1日3食、マクドナルドを食べ続けたらどうなるか?という実験を行った2004年のモーガン・スパーロック監督の話題ドキュメンタリー映画『スーパーサイズ・ミー』では、ドナルドを意地悪にしたような映画の宣伝マスコットを作成したりした。
Snap Via:flickr.com
ロン・イングリッシュの代表作と言える「Temper Tot(怒りの赤ん坊)」は、超人ハルクを連想させる緑色のマッチョな肉体をしている。
作品を1から創り出すアーティストを”農家”と例えるならば、今日紹介するストリートアーティスト達、ロン・イングリッシュやアンディ・ウォーホル、エドゥアルド・コブラ、スティンクフィッシュ、シェパード・フェアリーなどは、既存のキャラクターや写真にアレンジを加えることにより独自の作品と価値へと生まれ変わらせる、そんな”料理人”のような働きをするアーティストが多いと言えるのではないだろうか。
SNAP:fifty24sf.com
話は少し逸れるが、3DCGにより人間そっくりのモノや映像を創り出す技術が進む一方で、それらの”技術者”は完全なオリジナルの作品を創る”農家”と表現するならば、インテリアデザイナーやファッションスタイリストなどもそうであるが、既存の5万とある市販製品の中から与えられた空間や対象に対して、最適なアイテムをチョイスして演出していく、こういった”料理人”のような働きをするセンスも、デザインと技術が進化して溢れかえっている現代では必要とされているのではないだろうか。
ロン・イングリッシュ公式サイト:https://www.popaganda.com/
📹「Temper Tot(怒りの赤ん坊)」制作風景
6.スティンクフィッシュ(Stinkfish)
Snap Via:streetarthub.com
スティンクフィッシュ(Stinkfish)のストリートアートは、日本でもCMでよく見る気がするし、世界のアートシーンに大きな影響を与えたのは間違いがないだろう。
人物の顔からまるでその人物のオーラや思考が花咲くように溢れ出る曲線は美しく、そして人々の内面を的確に、美しく表現する新しい表現様式を世に授けたと言えるかもしれない。
Snap Via:1dayrobot.wordpress.com
そんなスティンクフィッシュ(Stinkfish)は南米コロンビアの首都ボコタ出身、コロンビアのストリートアートの中心的存在だ。ステンシル転写ステッカーなどの技法によりアートを再生産する。
出典:fatcap.com
スティンクフィッシュのアートは人物の思考を美しく描き出す、そんな作品は多くのコロンビアのストリートアーティストに影響を与えたと言うが、なんとスティンクフィッシュは男性なのだ。スティンクフィッシュの目には人々がより美しく、より恐ろしく映っているのかもしれない。
スティンクフィッシュ公式サイト:http://www.stink.tk/
7.シェパード・フェアリー(Shepard Fairey)
Snap Via:latimesblogs.latimes.com
シェパード・フェアリーは、1970年生まれ、 アメリカ合衆国 サウスカロライナ州 出身、L.Aを拠点として活動している。アメリカの名門美術学校ロードアイランドデザイン学校(RISD)出身のグラフィティ・アーティストであり、アクティビストであると言われている。
作品を作った際に大きな上質なポスターにいくつも複製し、街に張り出すことで自らをセルフプロデュースした。
彼の作品集「OBEY」は世界的に有名で、日本でもコラボされる機会が多く馴染みがある。その作品の始まりは意外にも元祖巨人プロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントであるというのだ。
Snap Via:obeygiant.com
それ以来「OBEY」シリーズでは、バスケの神様マイケル・ジョーダン、プロゴルファーの丸山茂樹、ダライ・ラマやイラク戦争にオバマ大統領に国際的ハッカー集団アノニマスといった時の有名人や政治問題を風刺したイラストを描いている。2008年の米大統領選では、応援するオバマ大統領候補の彼の手がけたポスターやステッカーを沢山刷って配り、当選に大きな役割を果たしたと言われている。
Snap Via:obeygiant.com
ストリートアートの巨匠であるシェパード・フェアリーの作品は至るところで散見され誰もが見たことあるのではないだろうか。
シェパード・フェアリー公式サイト:http://www.obeygiant.com/
8.エドゥアルド・コブラ(Eduardo Kobra)
Snap Via:designboom.com
ブラジル・サンパウロ出身のウォールアーティストのエドゥアルド・コブラも、その芸術の端を発しているのは授業中のノートの落書きだったと語っている。
多くのストリートアーティストがそうであったように、彼もまたブラジルに生まれ育ちながら1980年代のニューヨークのブロンクスやブルックリンなどヒップホップがメジャーとなりだした頃のストリート・カルチャーに強く影響を受けているという。
12歳で近所の壁に描くようになり、今ではブラジル中心部の高さ80Mに及ぶ高層ビルの壁などに描いている。
Snap Via:http://eduardokobra.com/murais/
下の絵は高さ56Mのビルの側面に描いた建築界の巨匠オスカー・ニーマイヤーの肖像、エドゥアルド・コブラも多くのストリートアーティストがそうであるように有名な人物を描いている。
巨大な壁に描く際には、まず紙に絵を描き、それを分割して番号を振る、こうすることによりどのような大きな壁でも計算された美しい仕上がりとなるのだという。
Snap Via:eduardokobra.com
エドゥアルド・コブラは、『リオオリンピック2016』に際して32000平方フィートの巨大な壁面にグラフィティアートを任された人物でもあり、世界中に招待されてウォール・アートを描いている今旬なアーティスト。今後ますます活躍しそうな為に目が離せない。
📹『リオオリンピック2016』巨大ウォールアート制作風景
また今年春の西武そごうのブラジルフェア「Oi!Brasil~この夏、サンパウロに恋して」では、エドゥアルド・コブラがのウォールアートが渋谷の街に出現した。
エドゥアルド・コブラ 公式サイト:eduardokobra.com
9.ガイア(Gaia)
Snap Via:washingtonpost.com 写真は「Open Walls Baltimore(オープン・ウォール・ボルチモア)」
ニューヨーク育ちのガイア(Gaia)は、ニューヨークのハイスクール在学中の2007年にシーンに登場して以来、圧倒的な支持を獲得しすぐにカリスマ的存在となっていったという。
Snap Via:brooklynstreetart.com
その後メリーランド州ボルチモアの「メリーランド・インスティテュート・カレッジ・オブ・アート(MICA)」に進学、ボルチモア市がストリートアーティストに開放している「Open Walls Baltimore(オープン・ウォール・ボルチモア)」で20以上のストリートアーティスト達と共に作品を創り続けている。
SNAP:unurth.com
また「ボルチモア美術館(Baltimore Museum of Art)」でも展示を行った。ガイアは若いながらも多くのストリートアーティストを先導し影響を与え、大学卒業後もボルチモアに留まって壁画の製作を続けている。現在ではボルチモアを拠点に世界中を旅して壁画を制作しているという。
Snap Via:nythroughthelens.com
ガイアのニューヨーク・ブルックリン時代の作品は動物をモチーフにしたものが多いのも一つの特徴で、壁画にまるでキャンパスにデッサンしたような細かいタッチで生命力を感じさせる作品を創り上げる、しかしボルチモアに移ってからはその特徴は変化してその場や建物にあったデザインを変幻自在に創り上げている。
ガイア(Gaia)公式サイト:http://gaiastreetart.com/
10.キース・ヘリング(Keith Haring)
Snap Via:Twitter
キース・へリングといえばストリートアートの先駆者と言われ、そのジャンルを超えて様々なインテリアや小物アイテムやTシャツなどに採用されている為に誰もがこのデザインを見ればピンと来るのではないだろうか。あのお洒落なアイテムはキース・へリングが作りだしていたようだ。
一見子供の落書きのような無秩序な線で描いただけの人型の絵が多いのがキース・へリングの特徴だがなぜか圧倒的ポップ感をどの作品でも実現してしまうまるで魔法のようなアーティストだ、作品はいつの時代でも通用するオシャレ感と暖かさと冒険心に富んでいる。
世界中の人々の生活に溶け込んでいる誰もが知っているアートを創り上げている人物として考えてみてもキース・へリングは「現代のピカソ」と言えるのかもしれない。実際に「キース・へリング」で検索するとGoogleではピカソが関連人物に表示されてくる。それだけ偉大なアーティストだ。
SNAP:mypixel.se
ピカソもそうであったように精密に描かれた芸術が称賛された風潮の中で、一見子供にでも書けるような無秩序な絵を描いたキース・へリング、2人の作品に共通する一見無秩序な子供の絵に見えるそれらの作風は、本来、アートの表現様式には無かったはずであり、最初は異端児とされたはずだが、やがてメインストリーム・アートの世界で認められるだけの存在になっていった、ピカソの若い頃の作品では美大生のような多くの精巧なデッサン(素描)を書き残しているが、キースの作品も実は計算された緻密なセンスの上に成り立っていたのかもしれないし、誰もがしたように授業中のノートの落書きから、ただただその才能を開花させたアーティストなのかもしれない。
しかし、ピカソは90歳以上生きたが、キース・へリングはなんと1990年に31歳の若さでエイズによる合併症で亡くなっていたのだ。活動期間およそ10年程度で世界のポップシーンに新しいスタイルを吹き込んだ。
1981年から1990年は世界中の至る所にキース・へリングが溢れていたというが、今でも十分キース・へリングで溢れかえっている。
1958年生まれのキースは、ニューヨークの地下鉄の空き看板に”落書き”を始めたキースはやがて通勤で行き交う人々の話題となり、ニューヨークの画商トニー・シャフラジの支持を得て、各主要都市で壁画を制作、自らのアートショップを開くまでになり、今でもオシャレな小物屋さんや文房具屋、美術館の土産店、さらにはドン・キホーテなど様々な場所で『Keith Haring(キース・へリング)』のブランドグッズを必ず見かけるほどだ。
SNAP:pinterest.com
現代でも前述のシェパード・フェアリー始め多くのストリートアーティストに影響を与えており、様々な作品をインスパイアしている。私たちはマグカップやテーブルランプに食器に文房具、リュックサックにTシャツにトランクスなど様々なアイテムでキース・へリングの作品をこれからも愛していくのだろう。そうキース・ヘリングは生き続けているのだ。
“POP(ポップ)”とは、キース・へリングのことかも知れない。
✒この記事を書いた人
HOLLYWOODSNAP代表兼ライター、イラストクリエーター
高宮 剣(ペンネーム):1983年 東京都生まれ
筆者、高宮 剣の芸術との出会いは、幼少期に遡ります。学生時代より欧州を始め世界中を旅する内に、バチカンのサンピエトロ大聖堂の高層の窓から地上に降り注ぐ一筋の光、そして暗い教会内に差し射る光の中に浮かび上がる埃(ほこり)を見た時に天国と地獄の共存する地球という星の光と闇のコントラストを見た気がし、深く感銘を覚えました。今でも目に焼き付いている全ての原点となる体験でした。
またイタリアでは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロを始めとするルネサンス期のイタリアの画家に深く感動した経験から芸術を志すようになりました。その後バルセロナでのピカソ、ガウディとの出会いから芸術に対する遊び心に大きなインスピレーションを受けました。
「素描」を得意とした学生時代に、「素描」の上に絵具でペイントすることにより壊滅的にしてしまうこと、「素描」が芸大生のような高度なレベルに到達しなかったこと、テーマにあったイラストを発想することが出来ず「センスがない。」と判断して美術の専門をキッパリと諦め理系の道を志しました。
理系学問に没頭する内に、数学の森を彷徨うことになった高宮剣はそこで数学と宇宙、数学と樹木、数学と音楽の関連性を感得、それらは筆者の脳裏に映像として鮮明に映し出されました。この青年期の時代の数学の森での迷子は今後の高宮剣の芸術への大きな布石となることを予感しました。
20代に突入し、クリスチャン・ラッセンのイルカのイラスト、素潜りの達人:ジャック・マイヨールを題材としたジャン・レノ主演の『グラン・ブルー』の世界観に感銘を覚え、ENYAやAdiemusの音楽に心酔しました。それらはまさに知られざる”天国”を表しており、自分自身の生活と世界観を覆す”争いのない美しい理想郷”を見た気がし人生観が変わりました。すぐにアクリル画を独学で始めてしばらく没頭するようになります。
芸術家として大成するには天文学的確率であるという突き付けられた現実から、しばし芸術を忘れていた頃、スペインの建築家アルベルト・カンポ・バエザの創り出す白やむき出しのコンクリートを基調とした無味簡素な”光の建築”に魅かれ、我が日本が誇る建築家の安藤忠雄の”光の教会”に感銘を覚え、芸術における主張を抑える”沈黙の整然性”の不可欠さを感得しました。高宮剣の芸術においてスペインという国は度々に登場し、勇気付け、インスピレーションを与えてくれます。
20代後半に「SEA SIDE MIND」を立ち上げ、心の詩を綴るうちに自然とそれらの感情をイラストで表現したくなり、以前より興味のあったコンピューターグラフィックスの世界に足を踏み入れました。この時初めて自分が学生時代に苦手だった「色」を付けることにより絵を台無しにすること、「テーマ」にあったイラストが描けないことが克服されていることに気が付き、逆に両者とも自らのアピールポイントとして生まれ変わっていたことが強く影響し、深くイラストの世界にのめり込んでいくのでした。映像制作も手掛けるものの、1枚の絵画、イラストの持つ、圧倒的な影響力を筆者、高宮剣は信じています。
30代中盤となった現在は昼間の仕事に追われながらも、帰宅して深夜にかけてWEBクリエーターとして、学生時代に一度は諦めた芸術の道をCGとWEB、そしてITを通して独自のスタイルにて探求している最中です。最後までお読み頂き誠に有難うございます。
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