ヒップホップ東西抗争:2パック殺害事件で銃弾が刺さったシュグ・ナイト、取り除きを拒否
伝説のラッパー、2Pac殺害事件の際に2Pacの乗る車の隣に同乗し運転していたヒップホップレーベル「デス・ロウ・レコード」創設者で現在轢き逃げによる殺人容疑で逮捕拘留中のマリオン“シュグ”ナイト(Marion “Suge” Knight,49)は、現在轢き逃げ殺人の裁判中であるものの、
2005年、2014年にも銃撃に遭ったことが原因で、現在の拘留中に失明の危機及び発作による頻繁な気絶状態が続いており、2Pac殺害事件の際に頭蓋骨に突き刺さった銃弾の破片がMRIスキャンの邪魔となっているが、その取り除きを拒否していることが話題となっている。
さらに2014年には、改めてTMZの撮影クルーに対して「2Pacの殺害を意図したのは自分じゃない、ディディに聞けば分かる。」と発言。今なお語り継がれるHIPHOP東西抗争を振り返る。
シュグ・ナイト 失明の危機 頻繁に発作と気絶を繰り返す
1996年9月7日に、友人のマイク・タイソンのラスベガスでの試合観戦後に横付けされた車から何者かに銃撃され殺害された伝説のラッパーの2パック(2Pac 本名:トゥパック・アマル・シャクール)が所属していたレコードレーベル「デス・ロウ・レコード」創設者兼CEOで今年1月29日にカリフォルニア州コンプトンでの映画『Straight Outta Compton』の撮影現場のセットで俳優のテリー・カーターを車で轢き逃げし殺害し現在拘留中のシュグ・ナイト、
米TMZによると、度重なる銃撃を受けてきたことにより、失明の危機に直面しさらに頻繁に発作を起こし意識を失うことから、2Pac殺害事件の頭蓋骨に19年間突き刺さったままの銃弾の破片の取り除きを医師から勧められているが、弁護士とともに銃弾の取り除きを拒否している。
医師はシュグ・ナイトが断続的に意識を失う症状を起こしていることの解明をMRIスキャンでしたいとのことだが、弁護士のマシュー・フレッチャー氏は、容態が悪い時に、頭蓋骨から破片を取り除けば逆に死亡の危険があるとシュグが主張していると話している。
TVカメラが回る裁判中に発作が起きて、意識を失い崩れ落ちたこともあり、容態は深刻、全米が注目している。
さて、シュグ・ナイトの容態を機に、今なお語り継がれているHIPHOPの東西抗争とは何だったのか、一度振り返りたい。
ヒップホップ東西抗争:2Pac、ビギーは誰が殺害したのか?
出典:The Real Story Behind The Murders of Tupac & Biggie Smalls
2Pacは、アメリカ東海岸はニューヨーク・マンハッタンの貧困地区ブロンクス出身だが、NYC拠点のヒップホップレーベル「バッドボーイ・エンターテイメント(現:バッドボーイ・レコード)」との契約を拒否。
1994年11月30日、ニューヨークのレコーディングスタジオのビルのエレベーターで5発の銃撃を受け、4万㌦(約400万円)相当の金品を奪われる。それを現場ビルに居合わせていたバッドボーイ・レコード創設者ディディ(パフ・ダディ,P.Diddy)ことショーン・コムズと、ビギー(BIGGIE)ことノトーリアス・BIGの策略だと2Pacは、思ったために「ディディとビギーを疑っている。」という主旨の発言し、各メディアはそれを掲載、東西海岸の対立は激化の一途を辿る。
東海岸のディディ(P.Diddy)やビギー(BIGGIE)で代表されるバッドボーイ・レコード(当時バッドボーイ・エンターテイメント)のMC達と、西海岸の2Pacやスヌープ・ドッグ(Snoop Dogg)で代表されるデス・ロウ・レコードのMC達が互いをリリックでディスりあうビーフ(中傷合戦)に発展。スヌープ・ドッグは、PVでニューヨークの摩天楼を踏み倒して挑発している。
なお、2Pacが銃撃を受けたちょうど1年後の1995年11月30日には、2Pacのプロデューサーのランディー・ウォーカーが射殺されているのが意味深だ。
2Pacは、銃撃された直後に、車椅子で出廷して4年半の実刑判決を受けたファンへのレ●プ事件により刑務所に収監され、服役中に、西海岸L.Aを拠点とする「デス・ロウ・レコード」創設者のシュグ・ナイトから打診があり保釈金140万㌦を出すことを条件に移籍契約して仮出所を実現する。
1996年6月4日発表のシングル「Hit ‘Em Up」では、2Pacがビギーの妻フェイス・エヴァンスと寝たと示唆しディディとビギーを脅迫するリリックが話題となり抗争を激化、それ以外にもNAS(ナズ)、Mobb Deep(モブ・ディープ)ら東海岸のラッパー達をディスり、対立は激化、ラッパー達は元々ギャングの構成員が多いためにギャング同士の抗争、発砲事件へと発展していった。
あの事件を振り返る
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1996年9月7日、マイク・タイソンの試合を2人で観戦したシュグ・ナイトは、2Pacの隣に同乗し車を運転、信号停止中に後ろからやってきて横付けしてきた車の銃弾により2Pacは死亡、銃弾の破片がシュグ・ナイトの頭をかすめて突き刺さった。
犯人について様々な憶測が巡り、2Pacがレ●プにより刑務所服役中に、頻繁に面会に訪れ140万㌦の保釈金を積んで仮出所させ自分のレーベル移籍させた際の、”本来返す必要がない約束だった移籍契約料としての保釈金”の返済を2Pacに迫ったために2人の間でトラブルになっていたらしく、シュグ・ナイトが、東海岸の仕業に見せかけてL.Aのお抱えの汚職警官を使って2Pacを殺害したとする説が有力視されている。事実シュグ・ナイトは脅迫罪で逮捕された。
なお2Pacの母親は、2Pacを殺した犯人として疑わしいのは、シュグ・ナイトでもディディでもなく交友関係のあった他の人物の名前を数人挙げているという。
なお2Pacと対立関係にあった東海岸のバッドボーイ・エンターテイメントを代表するビギー(BIGGIE)ことノトーリアス・BIGは、2Pac殺害事件の半年後 の1997年3月9日にヒップホップ雑誌『VIBE』主催のパーティー出席のために西海岸L.Aに、そこで銃撃により殺害されてしまっている。この事件は、西海岸の報復説が最も有力視されている。
ヒップホップ東西対立の象徴であった両者の死により、抗争は終結(鎮静化)したとされている。
HIPHOP東西抗争とその終焉
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NFLトライアウトから試合出場後にアメフト断念したシュグ・ナイトは黒人2大ストリートギャング『ブラッズ』の出身でもあり、ギャングそのもののビジネススタイルから、2Pac殺害、ノトーリアス・BIG殺害もシュグ・ナイトが裏で糸を引いていると噂されたが、2014年のパパラッチへの路上インタビューでこれを改めて否定。
しかし、シュグ・ナイトの汚いビジネスに嫌気がさしレーベルを離れたスヌープ・ドッグなど当時の関係者がシュグ・ナイトが糸を引いているとほのめかす証言をしているらしい。
ちなみにデス・ロウ共同設立者のドクター・ドレーもレーベルを離脱し自身のレーベル「アフターマス・エンターテインメント」を設立、NWAのアルバム『Straight Outta Compton』(2015年に映画化し奇しくもその撮影中にシュグ・ナイトが轢き逃げ殺人による逮捕。)でスヌープ・ドッグ、2Pacらとギャングスタ・ラップを先駆けたドレーは、東西抗争で2Pacを失ったことを機にギャングスタラップに別れを告げ、後に白人ラッパーとして一大センセーションを巻き起こしたエミネムをラジオ番組のMCバトルから発掘しプロデュースする。
2Pacととノトーリアス・BIGの死により、スヌープ・ドッグやドクター・ドレーがデス・ロウを離脱し、かつて敵対していた東海岸のMC達と交流することでヒップホップミュージック(主にラップ)は西アフリカ起源の黒人のアイデンティティの主張でもある民族音楽から、サンプリングなどの手法を用いたより大衆的なポピュラー音楽へと進化を遂げていくこととなった。
衝撃的な一時代の終焉により、ヒップホップシーンはより鮮やかな色合いを見せていくこととなる。
2Pac “Changes”
HIPHOP東西抗争は2002年に映画化へ
2つの事件は未だ未解決のままであり、様々な説が飛び交い、2002年の記録映画『ビギー&トゥパック(Biggie & Tupac)』が発表された。
シュグ・ナイトは、過去に3度銃撃に遭っている。
2Pac殺害事件以外にも、
2005年のMTV-VMAのカニエ・ウエストによるプレパーティー
2014年のMTV-VMAのクリス・ブラウンによるプレパーティーで銃撃を受けている。
とくに2014年は合計5発の銃撃を受け自力でクラブを脱出するもICUで集中治療を受けて生還。
シュグ・ナイトは、米HIPHOP界No.1のワル。
本来(一説によると)無駄な血を流さないために発祥したとされるラップに、西海岸の陽気なリズム&サウンドにディスやビーフ、社会問題への言及をリリックに乗せたギャングスタ・ラップの潮流を2Pacらと西海岸のシーンに巻き起こし、東海岸のヒップホップMC達と対立、語り継がれるHIPHOP東西抗争の西のボスとして先導し、多くの血を流させたとされる。
東西抗争は2Pacとノトーリアス・BIGの東西の対立象徴の死と、ドクター・ドレーの尽力により一応終結したとされている。
2005年にはエイコン(Akon)のプロデューサー宅を強盗し、エイコンを脅迫、
2014年暮れには、写真を撮ったパパラッチカメラマンのカメラを奪い取って有罪判決を受けている。
シュグ・ナイト逮捕に色めきだつ気配
シュグ・ナイトが今年(2015年)に逮捕・拘留されてから後、
米南部ヒップホップ界の大御所ジェームス・プリンス(J. Prince)からは、
「礼儀のメッセージ(courtesy message)」と題した
警告トラックを発表され、ビートを伴ったリリック上で、ドレイクを家族の一員とした上で、
「俺の家族に手を出したディディ、ディディは自分の家族に手を出される扉を開いたことになる。
ディディは、自分で蒔いた種は自分で刈り取ることになるだろう。」
という脅迫メッセージを発表、この時に、同時にシュグ・ナイトにも警告メッセージを発している。
この際にTMZでは、「ヒップホップ界で誰が一番のボスか?」というアンケート調査を実施。
結果は、南部のジェームス・プリンスやバードマン、東海岸のディディを抑えて、シュグ・ナイトが1位となる。
マリオン・シュグ・ナイトの歴史は終わりを告げようとしている。
シュグ・ナイトは、轢き逃げ殺人による裁判中であり、容態の悪化から現在も拘留中で治療を受けている。
保釈金はTMZによると2500万㌦(約30億円)に設定されており、
シュグ・ナイトの友人で、ボクシングで世紀の一戦をマニー・パッキャオと戦い勝利した48戦無敗の5階級王者フロイド・メイウェザー・ジュニアは、この支払いを拒否。
シュグ・ナイトが犯行に及んでいるまさにそのシーンは監視カメラにより克明に映像記録されているために最低でも終身刑以上の刑が確定されると見込まれている。
HIPHOP東西抗争は、皮肉にも現在のアメリカでのヒップホップシーンを、他ジャンルのアーティストとのコラボ、クラブで欠かせないパーティージャムとして米音楽界を先導する存在にまで成長させ、日本でマイナージャンルだったHIPHOPを『JAPANESE HIPHOP』として独自な発展を遂げることに影響を及ぼしたのは認めざる負えない事実だと思う。
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