ブルース・リーまとめ,神速動画,生涯,死因の謎 – hollywoodsnap
ブルース・リーまとめ地球
6月. 28.

ブルース・リーまとめ,神速動画,生涯,死因の謎

1973年に死去したサンフランシスコ中華街生まれの香港映画スターでありハリウッドスター

また青年期は香港で有名なストリートファイターであったという

ブルース・リー(享年32)のまとめ特集です。神業動画あり!

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まずはブルース・リーが映画俳優としてでなく、ガチで武術の実力者であったことが良く分かる動画を見てもらいたい。

とにかく動きが速い、神速で有名なブルース・リー

ブルース・リーの指立て伏せ、パンチ、ヌンチャク卓球が凄すぎる希少映像






ブルース・リーのヌンチャクは映像に残る史上最高レベル、ヌンチャクでくわえタバコに火をつけてますね。本当に凄い。

さて、ブルース・リーの生い立ちに迫ろう。

ブルースリー 肉体

ブルース・リー(李小龍)は1940年11月27日、広東演劇俳優の李海泉と、ドイツ・中国人のハーフの母親グレイスとの間にサンフランシスコのチャイナタウンにて生まれた。

生後3か月でサンフランシスコで制作された中国映画『金門女』に出演。

その後イギリス占領下の香港に家族で帰国、第二次世界大戦終了後、8歳頃から子役として数多くの映画に出演した。

中国武術、『詠春拳』を超有名な武術家、葉門(イップマン)から教えを受けて幼少期より身に着け、

青年期には香港で有名なストリートファイターだったという。

悪名高きブルース・リーは父の命令で18歳で単身渡米、所持金わずか1万円(100ドル)だった。

シアトルで新聞配達をしながら高校卒業後、

ワシントン大学哲学科に進学。

高校で哲学の講師もしていた。

「振藩國術館」を開いて中国武術の指導を始める。

この戦後の時代にアメリカで武術道場を開くのは相当な実力者でなければ簡単に道場破りされるために不可能であったとも言われている。

それを成し遂げたのは他には極真空手を創立し世界を圧巻した、当時史上最強とも謳われた、大山倍達がいる。

大山倍達の伝説には様々な議論、賛否両論があるが、誇張、真偽はどうであれ、相当の実力がなければ喧嘩好きのアメリカ人から尊敬されないだろうと思われる。

アメリカを始め世界で評価された大山倍達も後にアメリカでブルース・リーの演舞を見た時に物凄い速さで驚いたと語っている。

そしてワシントン大学の医学生であり、道場の生徒だったスウェーデン系イギリス人リンダ・エメリーと結婚。

その後、ワシントン大学を中退し、道場経営に専念。

截拳道(ジークンドー)を創始する。

截拳道(ジークンドー)の特徴は受け即攻めであり、攻撃を防御するのと同時にカウンターで相手に打ち返す、もしくは受けの形がすでに攻撃になっている優れたものである。

1966年、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」で詠春拳の演武をした映像が、ハリウッドのプロデューサーを仰天させる。

そして、TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢される。

これ以降、ハリウッド俳優の武術指導などをするようになり、ブルース・リー自身もTVやハリウッド映画などのゲスト出演を重ねるようになる、

ブルース・リーはアメリカで『燃えよ!カンフー』を企画し、自ら主演を申し出たが、東洋人であることが理由に叶わなかったとされている。

その後香港の映画会社と契約し、1971年に初主演映画『ドラゴン危機一発』で一躍香港映画スターとなる。

香港で絶大なスターとなったブルース・リーはハリウッドを見返す時が来る、

ワーナーブラザーズ(米国)と自身が設立したコンコルド・プロダクションとの合作映画『燃えよドラゴン』が企画され、撮影中であった、『死亡遊戯』の製作は中断された。

ブルース・リーが死亡した年、1973年1月からアメリカと香港の合作映画『燃えよドラゴン』の撮影が始まる。

 

この時のリーの意気込みは並大抵でなかったとされている。

しかし、我々が知るブルース・リーの伝説とは裏腹に、

終わりはすぐに突然やってきた。

1971年に香港映画デビューを飾り一躍スターとなった2年後、

1973年7月20日、ブルース・リーは、『死亡遊戯』で共演予定の愛人とされていた女優ベティ・ティン・ペイの香港の自宅で頭痛を訴え、

ベティ・ティン・ペイ

鎮痛剤を飲んでベッドに横になったが、そのまま昏睡状態に陥ったため、そのまま病院へ搬送され死亡が確認された。

32歳の短くも偉大なる生涯であった。

今でも世界中で畏敬されるブルース・リーが32歳の若さで亡くなっていたとは意外でだった。

葬儀はシアトルと香港で行われ、遺骨はシアトルに埋葬された、この時シアトルの葬儀には有名なハリウッドスター、スティーブ・マックイーンなども参列した。

ブルース・リーと息子ブランドン・リーの死因と

『死亡遊戯』の不自然すぎる類似点

さてブルース・リーの遺作である、

死亡遊戯(1978)

via fanpop.com

ブルース・リーの未完の遺作となった「死亡遊戯(1979)」。

クライマックスのアクションを撮影後にブルース・リーは謎多き死を迎えてしまったのだが、

ブルース・リーが劇中で演じた自身とダブる役柄の”世界的なアクション映画スター”のビリー・ローは、ストーリーの中で、

映画撮影中に銃で撃たれるシーンに陰謀により実弾が入っていた為に暗殺されてしまう。

実際は暗殺されたと見せかけて葬儀も執り行い、後に暗殺者である巨大国際シンジケート組織を追い込んでいくというストーリー。

実際にこの映画を撮影中に、疑惑の死を遂げたブルース・リーも実は映画の中の境遇そっくりな状態だったのだ。

そして、なんとブルース・リーの息子で俳優のブランドン・リーは、

1993年に映画『クロウ/飛翔伝説』の銃撃シーン撮影中に、

なぜか実弾が挿入されていたことにより、28歳の若さで亡くなっている。

ブランドン・リー

ブランドン・リー

奇しくも、父が演じた「死亡遊戯(1979)」の劇中と全く同じ死に方をしているのだ。

ブルース・リーの死後、リーが待望していた主演作『燃えよドラゴン』がアメリカを始め世界中で公開されヒットし世界的知名度が上昇し始めた

これを皮切りに過去のブルース・リーの主演映画が世界各地で公開されブルース・リーは世界的なスターとなった。

しかし、この時すでにブルース・リーは亡くなっていた。



ブルース・リーのトレーニング

イメージ 2

ブルース・リーは映画俳優である以前に、武術家、ストリートファイターであったため、ロケ先のホテルでもトレーニングを怠らなかった。

とくに握力トレーニング、そしてパンチを速く打つとレーニングを積んだという。ブルース・リーのパンチ、世界一の速さだろう。そして威力も半端なかった。

また当時の東洋人としては珍しく、また細身の体とは意外にも↑の画像にあるようにウエイトトレーニングを徹底的に研究して行っていた。

ブルース・リーはスピードを重視したために肉体の芸術性を競うボディービルディングのようなビルドアップは競技性が違うために「しなかった」思われる。

ただしウエイトトレーニングはスピードアップ、威力アップに有効であると神速ブルース・リーは当時からすでに見抜いていた。

ライターはプライド、UFCを始め、格闘家の動画を相当な数見てきているが、ライターの知る限り、ブルース・リーより速いパンチを放てる人はいない、もしくは世界最速レベルだと思う。マイク・タイソンや畑山隆則、マニー・パッキャオのパンチも相当速いと思うが。

ブルース・リーの格闘哲学はヒクソン・グレーシーなど多くの格闘家に今も影響を与えており、ヒクソンいわくべた褒めでブルース・リーの格闘哲学は100%だと発言している。本物が行き着く境地は一つであり真理なのだろうか。

希少映像、

ブルース・リー,パンチデモンストレーション





ブルース・リーのパンチデモンストレーション、スーツ着ながらこの神速だ。
それだけ神速のブルース・リーのトレーニングメニューは凄まじかった。キック2000回、パンチ5000回に加え、ウェストツイスト360回、シットアップツイスト100回、レッグレイズ100回、ラーニングツイスト200回、カエルキック200回、、、、これだけでなくトレーニングは延々と続いたそうだ。

また2本の指での片手指立て伏せを軽々とこなし、100キロ以上のサンドバックを蹴れば天井にサンドバックが激突、小さいサンドバックは時に破裂したという。

意外!

ブルース・リーは

モハメド・アリを参考にしていた。

ブルース・リーはトレーニングの際にモハメド・アリのシャドウボクシングの映像を鏡に映し、それが自身の動きになるまでシャドウボクシングを繰り返したという。これはあまり知られていないのではないだろうか。そしてモハメド・アリの全試合ビデオを保有していたという。哲学の講師をしていただけありその研究心は半端なかったようだ。

モハメド・アリ10秒で20発のパンチをよける






ブルース・リーの死因

ブルース・リーの死因は上記で述べたように、女優の自宅で頭痛から頭痛薬を飲んで、意識不明でそのまま死亡とされており発表された

公式な死因は【脳浮腫】であり、死亡時に脳が13パーセントも膨張しており、また脳からは微量の大麻も検出された。古傷の背中の鎮痛薬と頭痛薬の危険な混合による副作用とされているが、実はいろいろな憶測が飛び交っている。

それは、腹上死、暗殺説など様々だ。

イリノイ州シカゴにあるクック郡医療検査官事務所のジェームズ・フィルキンスは死因を『癲癇(てんかん)』による突然死であると主張している。

ブルース・リーは、死亡直前の1973年5月10日、音声吹き込み中のスタジオで、昏倒し意識不明の重体に陥り病院に運ばれ入院し3日後の13日には退院している。

これは死亡の前触れであったのは間違いない。

香港政庁は死亡同年の1973年9月に死因究明裁判を行い『死因不明』と判決を下している。

実に謎に満ちている。

死因説、特に暗殺説に関してはYahoo知恵袋に詳しく網羅され解説してある。

今想うに第二次世界大戦後のアメリカで、身体的に大柄な欧米人に対して圧倒的に不利であり”イエロー”と蔑まれた極東アジア人の行うカンフーや武術などそもそもが眉唾ものであったはずである中で、

偉大なるブルース・リーは実力でアメリカ人達を圧倒してしまった。

(ブルース・リーより以前には早川雪州というハリウッド初のアジア人が主役を張る日本人ハリウッドトップスターがいたが、)ブルース・リーのリアルな格闘家としての実力からくるアメリカでの活躍が無ければ、白人至上主義であった当時のハリウッドでその後に続くジャッキー・チェーンやショー・コスギなどのアクションスターも生まれなかったかもしれないし、そもそも極東アジアの武術、武道に対する今日のような尊敬と繁栄は得られなかったであろう。

今では多くの欧米人が空手をはじめとする日本武道、東洋武術の道場に通い世界大会、オリンピックでは海外勢で賑わっている。

勿論これにはブルース・リーとほぼ同時代に、極真空手の大山倍達の喧嘩空手が強引な力技と商才あふれるプロモーションにより、アメリカ人を説得させてしまったのも大きいだろうが、このような先人たちの活躍により我々日本人を始めとする極東アジア人の武術、運動能力の地位向上に役立ったのは言うまでもないだろう。

その活躍ぶりはアメリカ在住のマイノリティーである”イエロー”と呼ばれる極東アジア出身の人々を大きく勇気付けたと聞く。

我々アジア人にとって誇りであるブルース・リー

偉大なるブルース・リーから学ぶには、まだまだこれからもその足跡をたどる必要があるだろう。




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By ハリウッドスナップ---"ハリスナ" | Posted in ALL POST, ハリウッド映画・海外ドラマ, 海外アスリート, 都市伝説・超常現象・面白 | Both comments and trackbacks are currently closed.

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